米谷青彰園

 おもと四方山話

戻る

このページではおもとに関する様々な事(以外の事も少々)を書いて行きたいと思います。私の思 いが、かなり強く出る事もあると思いますが宜しくお付き合い下さい。
                                        

no、2へ


No,1



おもと
漢字で書くと万年青と書きます。文字通り一年中、青々とした葉を着けてい
る事からこのような字を与えられたのでしょう。 おもとは古くより縁起の良い植
物として、又薬草として大事にされてきました。有名な話としては1606年(慶長   11年)徳川家康公が江戸城に入城の時、家臣より送られた3鉢のおもとを持っ   て入城し、以後264年にわたり江戸幕府の繁栄が続いた事が、現在も引っ越し   おもと、の風習となって受け継がれています。
又、庭に植えられたおもとが実を付け、子を殖やし続ける為に、家が栄え、子孫に恵まれる吉祥植物として、結婚式や子供が生まれた時に飾られています。



一般的におもとは非常に高価なものだと思われています、確かに高価な物もあり   ますが、今ではおもとが園芸店やホームセンターの花売り場で売られているように  簡単に誰もが楽しめる園芸になっています。ですが趣味の世界の事ですから奥が  深いのも事実です。おもとの面白さが解る程夢中になる方が多いのもその為だと   思います。

私には園芸のお師匠が2人いた。最初のお師匠は古典園芸を教えてくれた。私より2世代前の人だった、このお師匠は誰もがいい商人だったと言う程の人格者だった。電話もほとんどなく遠方への連絡は手紙か電報といった時代にテイランを両肩からタスキ掛けに下げ、その上両手にもテイランを下げ夜行列車に乗り商売をしていた、そのような時代を歩いて来た商人であった。隠居生活をしていたが私に商売を教える為に老体であったにも関わらず再び商売を始められた。蘭、おもと、観音竹を教えて頂いた。すでに故人となられ久しい。                         おもとのお師匠と初めて出会ったのもこの頃だった、徳島県のおもと展示会の会場だった、おもとのお師匠は故奥谷三郎氏(この方もおもと界では有名な大商人)と一緒に出席されていた。この時初対面であったがこれが縁で教えを乞う事になった。
私のおもとのお師匠さんはかなり個性の強い、強引な人だった、だから当然敵?も多かったと思うが、なにも解らずこのおもとの世界に入った私に様々な事を教えて頂いたし又、大変お世話になった。2カ月(60日)の内45日位、デパートの即売や、展示会、植え替え等でお師匠の家で寝泊まりした事もあった。残念ながら昨年他界された、何年も病気をされていたので、万が一の時は必ず連絡をしてくれるようある人にお願いしてあったにも関わらず連絡は無く、亡くなられた事さえ何ケ月も知らずにいた。当然、葬儀にも参列する事は出来ず、今も私の心の中は無念な思いで満ちている。二人のお師匠には千回、万回頭を下げても足りない、それ程に恩を感じている。
大将(お師匠の事をこう呼んでいた)から聞いた話は色々ある、おもとの事、商売の事、「おもと」の命名エピソードや入手時の裏話等、そのような事を書いて行きたいと思います。中には誇張された部分、又、私の感じ方、理解の違い、聞き間違い等あると思いますが、おもと界の一つのエピソードとして読んで頂ければと思います。
その他、時々の培養についての事なども書いて行きたいと思いますので宜しくお願いします。